優しいベージュ色の地にあたたかみのある茶で、いちごやスモモなどの果物や木の実がたくさん描かれている、大きなサラディエール
リム装飾と足元の装飾も華やかです
側面にも絵柄が描かれており、どこから見ても絵になるサラディエールです
ショワジー=ル=ロワ (Choisy-le-Roi)の刻印が有ります
状態といたしましては、フチに2センチほどの欠け、亀裂も数カ所ございます
表側には貫入と多少の変色もございますが、よりアンティークとしての趣きを深めています
サイズ:上部Φ280mm、土台下部Φ160mm、H110mm
ショワジールロワとは‥
パリからほど近いコミューンで、狩りで訪れるセナールの森の近くの邸宅としてショワジー城を用いた、ルイ15世によって名付けられた地名です
ショワジー=ル=ロワ
(王のショワジーという意味)
1746年にはポンパドゥール夫人がショワジー城へ住まいを移し、夫人も参加する夕食会が1750年から開かれ、ルイ15世とその近しい友や宮廷人が集ったそうです
海や川の魚、野禽や家禽、子牛のシチュー、牛肉、野菜、果物、アイスクリームが、ポンパドゥール夫人の後援のもと作られたセーヴル焼きの、繊細な磁器に豊富に盛り付けられました
これら優れた夕食メニューの一部は、フランス国立図書館に保存され、今でも食文化史家が学んでいるそうです
1775年から1780年には、マリー・アントワネットがこの全ての種類の娯楽を主催していたそうです
そのショワジールロワで、市民革命を経た1804年、パイヤール3兄弟が開窯
1878年にはH.ブーランジェ社 (H.Boulenger&Cie)の名をかざし、当代有数の陶器会社となりました
1920年には、クレイユ エ モントロー社と合併し、HBCM(Hiperolyte Boulanger-Creil-Montereau)社となりました
HBCM社となってからは合併先のモントローの地で作陶が行われました
1955年、それも閉鎖
約250年に渡り紡がれてきた作陶の歴史は途絶えることになりました
18〜19世紀にかけて勃興した大小様々な陶磁器窯が、フランスの産業革命の波の中で合併・淘汰をされ、2つの大戦を経てさらにその数を減らすことになりました
ショワジールロワもその1つではありますが、フランスの中心地で、19世紀中作陶を続けた、クレイユモントローと並び希少な陶器窯です